たそがれる夜

ひとりごと

カードキャプターさくら。さくらと雪兎とCLAMPの世界観

カードキャプターさくら

私の好きな漫画でアニメである。

一番といっても過言でない。今でもアニメを見ては鼻が詰まるほど泣くアニメである。

クリアカード編の連載もあり、今でも人気の衰えを知らない。

 

カードキャプターさくら

この物語の主人公、木之本桜は、当初、兄・桃矢の親友、月城雪兎が好きだった。

 

まぁそうなるのも無理ないのである。

雪兎は、イケメン天然優男なのである。スポーツ万能で優秀で、非の打ち所がない。すばらしい。

そんな人がいただけで、好きになりそうなのに、さくらにとっては、兄の友人。

ここで、桃矢は、妹への愛があるゆえに意地悪をする(いわゆるツンデレ)。

これに対して、ウルトラ優しい雪兎。友人の妹であるさくらにもとてつもなく気を配り、一緒に出かけたり、お茶に誘ったりしてくれる。

この両者の対比も相まって、雪兎は、普通の優しいを超えてすごく優しい素敵な存在になっている。

ベタ褒めしたが、こんな雪兎なのだから、王子様を超えて、もう存在そのものがすばらしい。さくらが「はにゃーん」となり、惚れるのも無理もない。

 

そんなさくらは、さくらカード編の後半で、雪兎に告白するも、振られる。

雪兎がいうに、さくらの一番は、雪兎ではないというのである。

さすがに落ち込むさくらであるが、さくらは、自分の一番好きな人は、ずっとそばにいた、小狼と気付く。

クリアカード編はここからスタート。

 

ただ、さくらと雪兎が結ばれないことに私は、ずーーっとモヤモヤを抱いていた。

そのモヤモヤが一つ分かったので書き連ねる。

この答えがわかる人いたら教えてクレメンス。

 

まず、この疑問が生じるのは、アニメクロウカード編の最終話、「さくらと最後の審判」。

個人的に、最後の審判の時点では、さくらと雪兎にとっての一番は、お互いだったと思う。

クロウカードの封印が解かれるとき、この世に災いが起きる。そして、カードを全部集めた場合、選定者ケルベロスが選んだ新たな主候補を、主としてふさわしいか見極める審判者ユエにより執り行われるのが、最後の審判最後の審判でユエに負けると「好き」という気持ちが消える(原作では「一番好きな人」の記憶が消える)。

ちなみに、アニメでは、この最後の審判中に、さくらは、ユエに負けそうになる。その中で、さくらは、雪兎を「あの人は、私の一番好きな人」と好きの気持ちを思い出し、結果としてユエの魔法を破り、新たな主人として選ばれる。

ここで、さくらの一番が雪兎でなかったら、この魔法は破れないはずである。そして、きっと雪兎にとってもさくらが一番だからこそ、そのさくらの想いが通じ、ユエの魔法を跳ね返せたのではないか。

この1話があるゆえに、さくらと雪兎が一番同士になれなかったことへの疑問が消えないのである。

このシーンは、さくらが新たな主となる、重要なシーンだからこそ、尚更蔑ろにできないのである。

 

これを、人の気持ちは移りゆくものだから、で解決できるとしよう。

ただ、そうはいかないと思う。ここで立ちはだかるのが、CLAMPの世界観。

 

CLAMPの世界観には、

「この世に偶然はない、あるのは必然だけ」というのがあって、それはCCさくらにも踏襲されている(はず)。

 

さくらをめぐる「好き」について、

柊沢エリオルは、ユエに

「雪兎は、主であるさくらを一番好きになると思っていたし、さくらも雪兎を一番好きになると思っていた(大意)」

と言っている。

ユエが旧主のクロウを好きならば、雪兎もさくらを好きになるのは必然な気がする(実際に、さくらも雪兎を好きだったし)。これを「必然①」とする。

 

そうだとしても、CCさくらの世界には

「さくらは、性別が違くてどんな年齢差であっても小狼をすきになっていた」という設定もある。

とすると、さくらの一番は小狼になるのが必然になる。(これを「必然②」とする)。

 

個人的に、この設定があるから、この必然②は生まれるわけで、物語全体を俯瞰したときに、CLAMPの世界観を第一に考えるならば、必然①が成り立たなってもいいのではないかと思ってしまう。

 

ここで、雪兎の一番が桃矢となったと思われる経緯を考えてみる。

ユエは作中、魔力が足りなくなった。ユエは自分で魔力を作り出せるケルベロスとは異なり、自分で魔力を作れない。そのため、他人の魔力を頼るしかない。しかし、頼れる主、さくらは小学生。絶対的に魔力が足りない。そのため、ユエの仮の姿である雪兎の存在が消えかかる。それに危機を感じた桃矢は、自分の力を雪兎に渡す。

雪兎はいう。「桃矢がいなかったら、僕はここにはいないだろうから」と。

雪兎にとって、桃矢は恩人といえる。

そして「お前が消えずにそばにいるならそれでいい」という桃矢の発言があるように、桃矢は、人間でない仮の姿である雪兎の存在自体を大切にしてくれる人。

これらの事情から、雪兎は桃矢を一番に思うのかもしれない。

 

ただ、そうだとしても、私は、「それは、さくらだって同じじゃないか?」と思う。

さくらは、雪兎が人間でないと知り、雪兎がユエとは思えないと思ったりもした。ただ、それでも、さくらは雪兎が好きだった。

さくらは、雪兎がユエだから好きになったわけではないし、月の力に惹かれたからでもない。雪兎が人間じゃないから好きにならなくなったのでもない。

さくらは、雪兎が仮の姿だと分かっても、人間ではないと分かっていても、雪兎が大好きだったのである。つまり、さくらも雪兎の存在自体を大切にし、加えて雪兎が好きだった。

 

そうだとすると、さくらと桃矢の決定的な違いは、雪兎の存続のために魔力を与えられたか否か。

ここからすると、雪兎は、桃矢に力をもらえて、自らが存続できたから、桃矢が一番だと思うようになったと考えられてしまう。

 

ただ、そうなのだろうか?そんなわけないのではないか。いわば命の恩人だから好きになる、そう簡単な図式ではないはずである。

桃矢は恩人であり、大切な人。そして、さくらは好きな人」

という関係も十分成り立ちうるのではないか?ということである。

 

それでも、CCさくらの結末は、

「さくらが小狼を一番好きになり、小狼がさくらを一番好きになる。」

なのである。

CLAMPの世界観、「必然」をこの結末に求める、つまり必然②を求めるには、

「さくらが小狼を好きになる」の設定が必要になる。

この設定がなかったら、必然で成り立つのは、必然①、さくらと雪兎はお互い一番好き同士なのではないか。

 

もちろん、「いろいろグチグチいってるなぁ。『さくらと小狼についての設定』があるのが、CCさくらなんだよ!」

といわれれば、そうなのかもしれないが、

すこし、必然②の結末が、この設定ありきに感じられてしまう。

 

このように私には、悩みがあるのだが、

この点について、つまり、さくら小狼の件を、エリオルは、

「予想できなかった/思っていたことは違う」

の一言で片付けてしまっている。


でも、やはり、CLAMPの世界観の軸には

「この世に偶然なんてない。あるのは必然だけ」がある。

これはブレない世界軸なのである。


そして、「必然」は、人の思いではどうにもならないはずである。

未来はいくらでも変えられるが、宿命という絶対的な結末には抗えないと思うから。


とすると、上記の疑問から、

雪兎がさくらにとって、さくらが雪兎にとって一番にならないことが、少し疑問に残ってしまう。

 

だからといって、小狼がどうこうというのではなく、CLAMPの設定云々ではない。とはいえ、小さい頃からずっと、この疑問が消えない。

 

とつらつら書き連ねたものの、

このモヤモヤは

「さくらの一番が雪兎で、雪兎の一番がさくら」

になれなかった、

さくらの振られた瞬間をずっと引きずってしまっている、

私の「未練」なのかもしれない。